江戸東京博物館

11月三連休の最終日は、両国の江戸東京博物館に行って来た。

先日読んだ考古学の本で、大森貝塚を発見したE.S.モースのことが触れられていたが、丁度博物館の特別展で彼をとりあげていたので興味を持ったものだ。


思えば、両国駅に降りるのは初めてかもしれない。まさかとは思うが、確かに国技館くらいしかないからなぁ。



大して大きい駅ではないが、こんな風に力士の額が飾られ、「相撲の街」を演出していた。
武蔵丸の手、デカッ!!



さて江戸東京博物館である。昔、この建物が建った当時は、えらく珍妙なものを作ったものだと思った。周囲の空間になじむというよりは、強烈に個性を主張し、かつその宙ぶらりんに浮いているようなデザインから、なんとなく落ち着かない、不安を感じさせる建物だと思ってあまり好きではなかった。


調べてみたら、設計者は菊竹清訓氏。あの不忍池の景観をぶっこわしていた「ノコギリビル」ことホテル・ソフィテル東京の設計者と知ってなるほどな、と思った。


博物館に入ると、まずは特別展「明治のこころ」を見学する。



明治初期に来日したモースは、大森貝塚の発見で有名であるが、その日本滞在中、寸暇を惜しんで日本全国を旅行して周り、その所見を記録していた。
特に庶民の生活に密接にかかわる生活道具などには強く興味を惹かれたらしく、使い古した民具を大量に蒐集していたようである。

館内には、彼が集めた夥しい民具や装飾品の数々が並べられている。

ごくごくつまらぬものから、なかなか立派なものまでさまざまであるが、いずれも共通するのは、それを作った職人の細やかな思い、そしてそれを何度も修理しながら大切に使った当時の庶民の、モノに対する愛情である。

当時の人々は必ずしも経済的に裕福ではなかったかもしれないが、西洋とは方向性が全く異なる文化を築き上げ、そのなかで豊かに暮らす日本人の姿は、モースにとってとても興味深いものだったに違いない。

モースの日本滞在時の体験は、後年「日本その日その日(Japan Day by Day)」という書物にまとめられた。館内には解説文とともにその記述の一部が掲げられていたが、俺もなんだか読みたくなってきた。図書館にあるかなぁ?



モースの事跡を堪能した後は、本館の常設展示へと移る。
建物内部は柱のない巨大空間が作られており、その内部が吹き抜けで上下階に分けられているという、豪壮なつくりになっている。


まず目につくのは、江戸当時の日本橋の姿を半分だけ再現したもの。檜や欅など無垢材がふんだんに使われており、歩いた感触も心地よい美しい橋であったことを思わせる。車も通れないし、保守管理も大変だしで現代の都市にこのような橋を作るのは難しいと思うが、錦帯橋巾着田の「あいあい橋」みたいに地域のシンボルとして、浅草あたりのどっかに人道橋として作ってみたら、人気になるんじゃないかなぁと思うのだがどうだろう。

なんにせよ、現在の日本橋のみすぼらしいたたずまいを思うと、江戸の人々は涙を流すに違いない。せめてあの高速道路、どうにかならんものか。


館内には江戸の町並みを再現したミニチュアが沢山並べられている。


人形一体一体の服装から表情まで精巧に作られており、細かい部分まで見ていると飽きない。




上階は江戸時代の姿を中心とし、下階はさらに現代までの歩みが展示されている。やはり江戸時代はあらゆるものが職人によって支えられていた職人天国といっていい時代である。庶民に知識や娯楽を広めた浮世絵や貸本などを支える木版技術、小物や家具を作る指物師といった文化が、全て人の手によって高められ、深められていったことが良くわかる。日本はこれからも「ものづくり大国」を目指すべきだと思うが、一般庶民のレベルではそうした「ものづくり」への思いが既にかなり失われてしまっているのだなぁと思った次第である。

世の中、便利になればなるほど人間そのものはどんどん退化していっているのではないか、そんな風に感じた。



さて、2時間もあれば十分見て廻れると思ったが、展示物の一つ一つが興味深く、あっという間に時間切れとなってしまった。

思った以上に興味深い展示の数々で、これはまたゆっくり時間をとって見に来たいところとなった。

外国人も沢山見かけたが、これから日本を訪れる方々には地味ながら是非見ていただきたいと思う。