あの日のこと

東日本大震災から1年がたった。
忘れないうちに、あの日の自分を書き起こしておこうと思う。

14時46分、最初の揺れが起きたとき、俺は会社の会議卓で打ち合わせをしていた。なかなかボリュームのある資料を読み込みながらの打ち合わせで、頭がボーッとなっていたところに、グワンときた。
これはかなりの揺れだな、とは思ったものの、うちのオフィスは胸より高いところにはほとんど物を置いておらず、液晶モニターなどもゲルで固定されているので、何が倒れたり落ちたりすることもなく、室内だけ見れば何事もなかった。しかも俺がその時座っていた椅子はキャスターが緩く、横揺れをうまい事相殺してくれたので、(ははあ、これが免震というやつだな)などとのんきなことを考えていて、切迫感はあまりなかった。
周りはさすがにざわついていたが、そのときの会議も期限が迫っていて大変だったので、そのまま会議を続けていた。
その後も余震が断続的にやってくる。会議を終えて窓から外を見てみると、遠くの高層ビルがぐわんぐわんとしなっているのが見えた。うわ、こりゃやばいかも知れない、とようやく危機感が沸き起こってきた。
電車も止まっているかもしれない。帰るのは遅くなっちゃうかもしれないなと思いつつ、そういや今日はカミさんが休日で外出してるって言ってたな。電話してみるがもちろんつながらない。うーん、困った。
17時頃になって、さっさと帰りたかったのだが、勝手に出て行くわけにもいかず、上司から帰宅許可が出るのを待っていた。カミさんとはどうやって連絡をとろうかしら。携帯は全然だめだが、試しにGmailを使ってみたら、こちらは問題ないようだ。さすが元軍用技術、インターネットはこういう時には強いものだなぁとまた暢気に感心していたところ、ポケットの携帯がブルルと鳴った。最近の携帯は昔みたいに暴力的にバイブが振動したりしないので、携帯が鳴っても気づかないことが多いのだが、このときに電話を取れたのは幸運だった。
電話はカミさんから。俺の職場に歩いてこれるところにいるらしく、電車も不通、車も大混乱ということなので、ともかくこっちに来て合流するとのことだ。俺の暢気な口調にまたカミさんはキレ掛かっていたが、ともかく待ち合わせ場所を指定して落ち合うことになった。
待ち合わせ場所は、職場すぐ近くの高層ビル内。俺はこのあたりの地盤が強いというのを以前調べたことがあったのだ。待つこと程なくして、カミさんと合流。いやあ、電話がつながらなかったらバラバラで行動せざるを得ないところだった。本当によかった。
ショッピングモールになっているそのビルの1Fには、帰宅困難となった人々が沢山集まって、途方に暮れる者あり、頻りに携帯を叩いて情報収集に努めるものありと、様々に不安と戦っていた。
館内アナウンスで情報が流れる。やはり電車は当分ダメらしい。とても家まで歩いて帰れる距離ではないので、覚悟を決めて今日はこの地に泊るのがよかろうということになった。
いざとなったら泊れそうなところの目星はつけてあった。駅近くの繁華街にラブホが沢山ある。早めに行けば部屋があるかもしれない。急いで行ってみよう!
行動としては決して早いほうではなかった。ラブホ街に来て見ると、軒並み満室。中には普段宿泊営業しているくせに、「休憩のみ」の掲示を掲げる怪しからぬ宿もあった。あちゃー、まずかったかなと思ったが、最後の望みとばかりに場末の汚いラブホにあたってみた。
ホテルの入り口では先客がなにやら受付のオバちゃんと交渉していた。ダメだったら次あたらなきゃいけないんだから、何だか知らないけど早くしてもらえないかなとちょっとイライラ(カミさんは爆発寸前)しながら待った末、ようやく我々の番に。
おお神よ、あと一部屋だけありますとのこと。助かった!
部屋に入ってみると、こんな非常時でもなければ絶対に泊りたくないようなボロボロの老朽で、しかも臭い。せっかくゲットした女の子もこんなところに連れ込まれたらさっさと踵を返してしまうに違いない場所であった。でも贅沢は言っていられない。俺は明日休みだからどうでもなるが、カミさんは地元に帰って土曜出勤なのだ。とにかく寝る場所を確保できただけラッキーだ。
部屋に荷物を置き、とりあえず必要なものの買出しと、晩飯をとりに出かけた。ホテルの周りは行き場を失った人々が大勢徘徊している。コンビニ内は大盛況となっていた。やはり携帯の充電器関連は完全に売り切れ。俺もiphoneの電池が心もとなく、できればACアダプタがあればと思ったがことはそううまくいかないものだ。
適当なレストランがなかったので、居酒屋に入って晩飯を取ることにした。店内に入ると、あちこちから笑い声も聞こえ、普段とそう雰囲気は変わらない。でもやはりこんな状況で自分たちも楽しくお食事という気持ちにはならず、カミさんと二人でモソモソと腹ごしらえだけして早々に店を出た。
ホテルの部屋に戻って、後は寝るだけである。シャワーを浴びようとしたが温水が出ない。震災のせいなのかいつもこんななのかわからなかったが、あまり怒る気にもならず、とっとと寝ることにした。
ベッドに寝転んでみても、時折くる余震にドキッとさせられる。揺れるたびに壁のあちこちがミシミシと音を立てる。いやあ、こんなところで倒壊に巻き込まれて死ぬのは嫌だなぁとさらに不安は募る。
室内のテレビではさらに絶望的な光景が映し出される。とんでもない津波に街が、車が、人が飲まれていく。石巻は火の海。さらに原発が非常停止に失敗し、予断を許さぬ状況となっていた。一体どうなっちゃうんだろう。
TVを見てても不安が高まるばかりで一向に好転の見込みはないので、あきらめてTVを消して寝ることにした。
あまりぐっすり寝れた夜ではなかったが、カミさんは土曜仕事があるので、電車が動いているかわからないが、ともかく一番早い電車に乗ろうと、5時に起きてすばやく宿を後にした。
駅に来てみると、構内で夜を明かしたと思われる沢山の人が床にまだ寝そべっていた。歩いている人たちも目を赤くしている人が多い。それに比べれば、あまり快適ではなかったとはいえ、屋根の下で足を伸ばして布団で寝れた幸運には素直に感謝すべきだと思った。
帰宅の路線はやはりまだ動いていないようだった。改札前には大勢が集まって状況を見つめている。しかしどうみても再開する見込み、というか電車をなんとか動かそうという意思が感じられない。こりゃ無理だなと見切りをつけ、別路線からできるだけ近くまで行くことにした。
別路線のほうも大幅にダイヤが乱れ、まともに運行はしていなかったが、ともかく動いてはいるようだった。何とか乗り込み、やれやれ、これでとりあえず帰れるかと一息をついた。
電車は各停のノロノロ、時折余震で停止したりしてやはり不安は続く。ただこのとき一番不安だったのはiphoneの充電がつきかけていることだった。充電器は常に携帯しておくものだと思った。
余震が起きると、あちこちから緊急地震警報のあの「ビヨンビヨン」という音がする。どうやらauの携帯にはこの機能があるらしく、夫婦ともにiphoneユーザである俺は少しうらやましかった。何せほんの数秒でも、揺れの前に知ることができれば心構えからしてだいぶ違うのだ。
だがこの日以来、あの「ビヨンビヨン」を聞くたびに全身が総毛立ち、動悸が高まるパブロフ効果が身についてしまった。今はアプリで地震警報を受け取れるようにはしているが、条件は震度4以上に設定してある。まあ、いざという時になってくれれば問題ない。
電車はなんとか目的の駅に到着、ここからはタクシーで30分ほどである。
タクシーの運ちゃんと話をするとなんとなく和む。やはり不安なときは人とお話するのがよろしい。カミさんも一緒でよかった。
さて家に関しては一つ不安が残っていた。家のもので倒れたり落ちたりして困るものはほとんどないのだが、一つ、テレビだけは倒れてしまっているのではと気がかりだった。購入当時13万の品。。うーん、また買うのは痛い出費だなぁ。
なんて考えながらタクシーに揺られ、いよいよ家のすぐ近くまで来たところ、前方に黒煙が上がっているのが見えた。自宅の方角だ。
すわっ、火事か!まずい、燃えちゃったら全部終わりだ、どうしよう。。などと新たな不安に打ちひしがれながらタクシーを急がせる。
現場についてみると、自宅とはずいぶんはなれた商店が現場だった。揺れによる被害そのものはたいしたことなかったろうに、火事とは気の毒なことだ。ちなみにこの店は半年後には立派に復活して営業再開している。
そんなこんなでようやく帰宅した。部屋に入ると、心配のタネだったTVはちゃんとラックの上に鎮座ましましていた。ああよかった。
食器類も、棚の中はゴチャっとなっていたが、落ちはしなかったので被害ゼロ。棚の扉が引き戸で、かつちゃんと閉めておいてよかった。いつも俺は開けっ放しにすることが多いのだ。

カミさんは帰るなり身支度し直して、すぐ職場へ向かった。俺はそのまま家を片付けてまたテレビで状況を見守っていた。見れば見るほど絶望的になる映像であった。


俺の「あの日」はそんな感じだった。