確定拠出年金

4月から確定拠出年金がはじまるということで、社内の説明会に参加してきた。

おおよそどのようなものかは知っていたし、株だの投資信託だのもたしなみ程度にはやっているので、内容としては特にどうということはない。手続きも特に難しいことはないようだ。

これからは年金も自己責任。うまくすれば増えるし、そうでなければゼロとはいわないけど、うまくやった人との差がついてしまうよというわけだ。

だがねぇ、なんつうか。

こと年金だけの問題ではないけれども、今どきのなんでもかんでも自己責任、っていう風潮が今ひとつ、嫌だなぁと思うわけよ。
そりゃもちろん、努力した人は報われてしかるべきだし、怠けているものにはそれ相応のマイナスがあるのはおかしいことではないと思うよ。

橋本大阪市長なんかをはじめとする新自由主義者の思想は、つきつめてしまえば「狼は生きろ、豚はシネ」という弱肉強食、持てる者はさらに栄える社会ってことになるわけだけども、それってものすごーく野蛮な世の中じゃないかという気がする。

要するにみんなで好き勝手やって、勝った奴が総取りというわけで、そんなんだったら法律も政府もいらないじゃん。野獣と同じ、いや野獣も自分のテリトリーという分をわきまえているだけまだましだが、グローバリズムが蔓延する現代にあっては、海も山も境界線も軽く越えて強い者、優れたものが弱者を搾取してゆく。

人間が長い歴史の中で築き上げてきた文明の、終着点はそこなのか?という疑問が常に頭を離れない。

年金も、きちんと自分で勉強して運用したほうが利益は大きいかもしれないけれど、そんなプラスなんかなくてもいいから、そんなこと気にせずに国が責任をもって運用してくれたほうが俺はいいなぁという気がする。

「たいした金じゃないけど、とにかく老後も生活に困らないようにしますから、将来のことなんか気にせず今の仕事に励んでくださいね」というのが国家の国民に対する態度じゃないかなぁと思う。

大金持ちになりたいわけじゃないんだよ。毎日を不安なく健康で文化的に生活できれば、そしてそれが将来にわたりおおむね約束されていれば、目の前の仕事にだって一生懸命励むもんじゃないだろうか。少なくとも日本人はそういうメンタリティを持っていると思うぞ。

今の民主党に限ったことではないが、いまの政府はそういう国民に対する「安心感のある国づくり」という責務を怠っているような気がしてならない。
それどころか、むしろ国家や秩序をぶっ壊し、もっと努力しなきゃダメだ、がんばらないと落ちこぼれるぞ、とムチを打つような無法社会へ導くことへ血道をあげている。
セーフティネットがあればいい、という話とも違うんだよ。

日本が目指す社会の姿、というものを問い直す必要があるんじゃないかな。昭和時代によく言われた「一億総中流という国民意識、あれはかならずしも肯定的な文脈で使われていなかったと思うけど、狙ってのことかどうかは知らないが、そんな社会構造を作り上げたというのはすばらしかったと思う。
政府の役割は、ほっとけば偏在してしまう富を分配し、皆がそこそこ幸せになれる社会をつくることであって、一部のエリートや社会強者を作り出すことではないと思うのだ。

なーんて書くと俺アカみたいだな。まあ、つい最近までまっかっかでしたから。

話が大きくなってしまったが、このへんについてはきちんと根拠を示して論じるには全く勉強不足だ。ゆえに全部印象論でしかないのがハガユイ。橋本氏には軽く論破されちゃうね。


2時間にわたる説明会で眠い目をこすり朦朧としながら、そんなことを考えていた。