自粛についての考察

「震災の被害を考慮して」の各種イベントの中止決定が相次いでいることを先日書いた。
ネット上でも“自粛”をキーに検索すると、過剰な自粛に反対する意見が多数ヒットする。

ネット上でみる限り、やや自粛反対のほうが優勢になりつつあるようだ。やはりみんな考えることは同じだね。

ところでこの問題でいまだに気になっているのが、「阪神大震災の時もこんなに自粛してたっけ?」ということだ。

俺は学生だったし、もう15年も前なので良く覚えていないが、確かに当時も過剰自粛的な葛藤はあったと思う。でも、今回ほど全国に亘って大きなイベントが軒並み中止される事態にはならなかったのではないかと思う。

俺のあてにならない記憶ではさっぱりわからんので、今年中止になったイベントが、95年はどうだったか、さっくり調べてみた。

五月の三社祭は今回、戦後初の中止だ。神田祭も95年に中止という記事は見当たらない。大凧揚げで有名な浜松祭も今回初の中止となる。

阪神大震災は一月だったので、もう少し近いところでいくと、二月の札幌雪まつりも開催したようである。
道頓堀のグリコはどうだったのかわからない。

もちろん、95年は東京湾隅田川の花火も開催している。浅草サンバカーニバルもやってるではないか。(隅田川とサンバは、今年どうなるかはまだ不明)

どうやら阪神大震災のときよりもイベントの自粛という点では今回のほうがはるかに大きな影響があると言って良さそうである。


この自粛ムードが今後どれほど続くかによってまた評価は変わると思うが、なぜこのような違いが出ているのかについて考えてみた。

単純な規模で言うと、今震災では死者・不明者数はわかっているだけで既に阪神大震災の倍以上、また阪神では死者のほとんどが兵庫県内であったのに対し、東日本大震災では関東以北のほとんどの県で死者を出している。

数字で比べると確かに今震災の被害規模は阪神よりも大きいと言える。とはいえ、阪神大震災時の衝撃も相当なものだったはずだ。単純に数字的に大きいからといってそれが自粛ムードの差に現れるとは考えがたい。

当時と違う状況を考えてみよう。

1)インターネット、携帯カメラ等の普及による情報のリアル化と拡散
95年当時とは比べ物にならぬほど生々しい映像や情報がリアルタイムで流されたことにより、被災地外の人へもトラウマを与えた。

2)原発事故
放射能の見えない恐怖とともに、停電により帰宅困難になったり、経済活動が止まったりと、具体的現実的な被害を受けたことにより、都心部の人にも震災の恐怖がより現実的になったのかもしれない。


さらに俺はこれにもうひとつ、全国でイベントの自粛が広がる大きな原因として次を挙げたい。

3)プロ野球の開催日程についての騒動
何をいってるんだと思われるかもしれないが、俺はこのゴタゴタが社会に与えた影響は無視できないと思っている。


震災後、当事者といえる東北楽天が参加するパリーグが早々に4月12日への延期を決定、セリーグは当初日程を前提とする方針を打ち出したことでセの選手会が反発、球団側との対決の構図が作られた。

俺は当初、「25日に開幕できるんだったらやればいい」と思っていた。問題は電力不足だけで、これは工夫次第でどうにかなると思っていた。
しかしナイトゲームで使用する電力が一般家庭のウン千軒分とか、東京ドームは昼間でももっと多いとかいう話を聞くにつけ、さすがに25日(ナイトゲーム開幕)はムリかと思った。

でも、デーゲームに振り替えたり、東電管外の地方球場で開催するなどして、シーズンはなるべく早期に開催すべきだという考えは変わらなかった。

しかしマスコミの報道やネット上での発言を見ると、完全に大勢は開幕延期を主張するセの選手会側を支持しているように見えた。

「野球は我々の仕事だ。スポーツを通じて日本を元気づけることもできる」等という球団側(主に巨人関係者)の発言は、俺からみればそれ自体は正論だと思っていたが、マスコミやネットユーザの書き込みはこぞって球団側をバッシングした。

つまり開催を「強行」するのは金儲けのためであり、国民の心情を理解しない自分さえ良ければのエゴであるとの決めつけで、球団側(とくに巨人関係者)は完全に悪玉扱いとなっていた。これはナベツネさんの日ごろの悪印象によるものも大きいだろう。俺も彼には決していいイメージはもっていない。

延期を主張する選手会、特に代表の新井選手は一般市民の気持ちの代弁者という扱いでもてはやされ、さながら巨悪に立ち向かう判官びいきの状況。さらに流れに乗るのがうまい楽天星野監督も暗に選手会を支持するコメントを発し、「自分は善玉」をアピールしていた。

この騒動、球団側の話の持っていきかたにも相当に問題があったと思うが、ゴタゴタが長引いたことで一般市民には「自粛は善」「開催は悪」のイメージがかなり強く刷り込まれてしまったのではないかと思う。

特に、企業・団体にとっては、イベントを自粛しないと巨人のようにマスコミから徹底的にたたかれる、という恐怖が生まれたのではないか。マスコミがたたかなくても、「自粛病」にかかった一般人から、「こんなときにイベントとは何事か」と大量にクレームが来たり、掲示板などで誹謗中傷をされるであろうことが強く懸念されたのではないだろうか。

イベントに協賛したりするのは宣伝のためであって、イベントをすることで企業イメージを害されてはそれこそ逆効果である。金を出して苦労して準備して、バッシングされてはたまらない。ならばやらないに越したことはない、と判断するのも当然である。
増幅された「自粛」エネルギーがこっちに向いてはたまらんと、本来は祈りの場である神社のお祭りまで中止となってしまった。

俺はこの騒動中、新井選手の陰気な顔を見るたびに不愉快な気持ちがしていた。
なんでこの人たちは自分の誇りをもつべき仕事を、こんなに申し訳なさそうに遠慮するのか。遊びだと思っているのか。悪いことをしているとでも思っているのかと。ある選手は「こんなときにバット振ってていいのかなと思う」と言っていた。まあ気持ちはわかるけど、それがあなたの仕事だよ?

結局、大きなスポーツイベントとしての先鞭は高校野球がつけることになった。高校野球は娯楽よりも教育的意味が大きいとはいえ、子供に先に地雷を踏ませにいって、プロのスポーツ選手として恥ずかしくないのかとも思った。
むしろ、当事者である楽天こそが、この非常時に負けない精神を発揮し、ジプシー球団になってでも早期開催に漕ぎ着けようと努力する姿を見せていれば、その後の展開もずいぶん違っていただろう。星野監督は、困難を乗り越え勇気を示すよりも、安易に大衆に迎合して人気取りをすることを選んだ(少なくとも俺にはそう見えた。が、それは星野監督だけではない。とはいえ、あの時点あの状況で球団側に与する意見を発することがいかに危険で困難であったかは理解できる)。

楽天は延期が決まったあとも練習試合などを普通にこなしていた。球場などの手配さえなんとかすれば、決して野球が不可能な状況ではなかったのだ。

そうすれば、「困難に負けずに前向きにやるべきことをやる」という姿勢こそが、この非常時には大事なことだという強いメッセージとなったはずだ。あの時点でプロ野球が果たすべき役割は、そういうことではなかったのだろうか。

たかが野球の話だ。そして俺はいち野球ファンだ。
でもプロ野球界があの騒動で社会に振りまいた毒は、ある意味放射能よりタチが悪いのではないかと俺は思う。
そして、大衆にのっかり本質を忘れ扇情的な報道を垂れ流し続けたマスメディアは、この点最も罪が重いものと考える。