東京湾華火
今年の東京湾大華火祭が中止されることになったそうだ。
今は自宅が離れてしまったので、どちらにしろおそらく見に行くことはなかっただろうが、実に残念なことである。
いや、はっきり言って腹立たしくさえある。
震災により日本経済の片翼がもがれ、しかも原発事故による電力不足で復興の原動力たるべき首都圏すら心不全の状態となっている。
俺たちはこの未曾有の危機をのりこえ、被災地域を復興し、ただでさえ元気のなかった日本経済をたてなおさなければならない。
そのためにするべきこと。
直接の被害をこうむっていない地域が、活動できない地域の分まで、一層元気に働き、経済を動かしていかなきゃいけないのだ。
今震災では、首都圏でも被害は出たものの、社会全体が揺らぐような破壊的損害は少ない。電力の問題さえどうにかすれば、首都圏は十分に元気なのだ。
それなのにまだ四ヶ月も先のイベントを中止するという。その理由は「被災地の状況を考慮して」とのことだ。
つまり電力など具体的障害があって実施不可という判断にいたったわけではない。やろうとおもえばできるけど、「かわいそうだからやめた」ということだ。被災者の誰かに聞いたのか?
別に花火をやればそれだけで経済が盛り上がるわけではない。開催することによってたくさんの人が動き、カネが動き、地域も潤うだろうが、それはあくまで一時的なものだ。
それよりも、花火という目立つイベントをやめることにより、社会の自粛傾向、引きこもり化を助長する影響の方が大きいと思う。
「日本は強い国。皆で力を合わせて乗り越えよう」なんて胸に沁みるセリフが毎日テレビでたれながされている。
よし、やろうじゃないか。で、なにする?ボランティア?募金?それも結構。できる人は大いにやるべきだ。
だが、精神的ショックを乗り越え、今まで通りの生活をし、働いて稼いで、勉強し、娯楽を含めた活動をしてお金を遣っていくことこそ、被災者ではない大多数の人間にとっての最大の復興支援だ。ひきこもってる場合じゃないのだ。
確かに今回の震災が、首都圏の人間に与えた精神的ショックは非常に大きい。原発もいまだどうなるかわからない。俺自身も、災害のあと暫くはもう日本はダメだ、世界は終わってしまうんじゃないか、ぐらいにおもえてしまうほどだった。
でもそんな風に落ち込み、気弱になりそうなときこそ、元気なイベントをやって社会を、経済を盛り上げていかなきゃいけない。なにが不謹慎なものか。復興のための税金は誰が払うのか。
経済の好不況は、具体的現実的な政策や気象などから来るものではない。それらはきっかけにすぎない。
何かをきっかけにして、社会全体の消費マインドが冷え込んだり加熱したりしておきるのだ。
株価が上下するのだって、別にそのつど企業価値が変化しているわけではない。上がりそうだから買おう、下がりそうだから売ろう、というマスの心理効果によるものだ。
だから天災という事象が発生してしまったいま、たとえカラ元気であっても消費者の心理がマイナスにならないよう、政府や自治体は細心の注意を払わねばならない。
それが花火の主催者たる中央区が早々に中止決定。神奈川などの花火大会も前後して次々と中止を決定している。何をかんがえているのか。家にこもって電気消しておとなしくしてろと?クーラーは当然OFFだろう。同情するのは結構だが、同情でメシは食えないぞ。
このままでは震災不況である。元から停滞していた日本経済は、二度と立ち直れなくなる危険性がある。こちらのほうが今後よほど大きな問題になってくる。
いまこそ政府は強いメッセージを発し、震災復興の為に国民が何をすべきかをきちんと示す必要がある。皆でそれぞれ「自分に何ができるだろう」なんて考えさせるから、センチな感情に引っ張られた自粛なんて結論に達してしまうのだ。
悪く取れば「被災者なんて関係ない、自分さえ良ければ」ともとられてしまう意見である。普段から人望のない人が言えば、激しいバッシングを浴びるのは、プロ野球の開催延期の経緯をみれば明らかである。
困ったことにそのメッセージを発するべき菅総理、ルーピーと並び史上最悪レベルに国民の信頼を失ってしまっている。
果たして彼にそんなメッセージを発することができるのか。
あるいは、目先の課題の処理に追われて、震災不況の危機に気づいていない恐れもあるが…。
ここに書いたことが荒唐無稽の杞憂であることを切に願う。そしたら後でこの記事を見て「アホだなぁ」と笑ってすむことである。
ともかく、花火のない夏はとても寂しく、味気ないものである。
花火は、俺に夏を実感させてくれるとともに、夏の終わりを告げてくれる、ちょっと切ないイベントでもあったりする。